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So What?

.29 2010 回想 comment(1) trackback(0)


今となってはあらゆる手法がすでにノスタルジーの対象にすぎないだろうし、それはウイリアム・バロウズというひとりのジャンキーの手になる「裸のランチ」という書物によって有名になってしまったカットアップという手法も例外ではないだろう。しかし、カットアップという手法には断片への偏愛という側面があって、なにしろ言葉の断片を日常的な分脈からは遠く外れた脈絡のない行為によってズタズタに切り刻んで再構成するというシロモノなわけで、断片好きの私としてはちょいとだけカットアップに興味を惹かれたりもしたのだった。

むろん断片への偏愛という傾向は、バロウズにつきまとうジャンキーという病(ならぬ生き方)から容易に想像がつくだろうが、ドラッグの禁断症状からくる被害妄想によって世界のあらゆる表面が粘着質を持ちはじめ、じっとりとべたつき、さらにはドーム状の建築物の内部のように弧を描きはじめて、それがさながらゴム製の柔らかいボールのように途方もなく広がり、やがては巨大な公告バルーンのようにパンパンに張り詰めてしまった世界の中心に、独りっきりで取り残されて、その球状と化した世界のベトベトの表面に繁茂する無数の繊毛の一本一本に棲息する無気味な虫どもが、ヒソヒソと自分についてのありとあらゆる悪口をささやきはじめるような状況にあっては(いや、よく知らないけどさ)、世界の堅固な連続性などというホラを信じることは不可能だろうし、つまり世界はすでに彼にとってはバラバラの断片が無作為に寄せ集められた集積物にすぎず、こうなれば断片にしがみつくしか生きる術はない。これがジャンキーの生活というやつだ。

こうした生きざまとカットアップという手法にすがりついた心理状態は密接に結びついているに違いない。思い起こしてバロウズ本人の言葉を借りれば、「カットアップとは言語とイメージが持つパラドックスを意識化させる手法」だそうだ。つまりカットアップとは、もともと正しく繋がれていた分脈に矛盾を起こすだけの手法ではなく、そもそも世界を堅固に結び付けているはずの言葉とイメージの関係について、「はじめからバラバラじゃねーか、そんなもん!」と叫ぶための手法だったというわけだ。

なるほど。これって結局のところ、なんとかヤバい状況を生き延びたジャンキーが、なにやら自己正当化に終始する無様な言い訳を口走っているように聞こえないでもない。しかし、この言説はとても重要な問題をはらんでいる。なぜなら、なにかを創造するという行為は、フランケンシュタイン博士を思い出すまでもなく、山積みになってしまった精神的負債を一気にチャラにするための孤独な悪魔祓いに違いないし、読むという行為もまた、生まれる前にバラバラに散ってしまった同胞達を探しだしては連帯を求める孤独な旅路に違いないのだから。そして、すくなくとも、ぼくにはそう聞こえてしまうのだから。




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註釈:話が前後するようですがカットアップとは何かを簡単に説明しておきます。それは、基本的には商品として流通している作品をハサミで切り刻んで再構成することである、と言ってもいいでしょう。ぼくの場合は、自分で書いた断片をあらためて再構成するようなことをよくやりますが、素材が自分で書いたものの断片であっても、それはカットアップという手法の一部に違いないと思うのです。
たとえば、既成のメディアの写真を切り張りして作品にする事で名を馳せたロバート・ハイネケンが、アメリカで最も尊敬を受ける写真家のひとりであると言えば、この手法がもはや奇矯なものではなく、すっかり世間に馴染んでしまったものであると言っても過言ではないわけで、そういう意味では、この註釈もまた蛇足でしかありえないような気がしてきました。
たとえば、人が一冊の本を読んだとき、それは一冊の本を書き上げたに等しい。なぜならば、一冊の本を一字一句誤ることなく記憶に再現できるような人物はホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編のなかにしか存在せず、実際にはその書物とは違う書物が記憶の中に残存することになるわけで、この記憶を一冊の書物として世に著せば、それは異本として流通する。これもまた、カットアップという手法の術中にあるといえるのではないでしょうか。
まあ、これはあえて極端な書き方をしたわけであり、かつて大量に複製が生産できる印刷技術がない時代、手書きで写本をしていたわけですが、そのさい、写本する人物によって微妙にヴァ?ジョン違いの書物が発生していく、この事をこそ本来の異本ということぐらいは、さすがのぼくも知っているのですが、じつはこの異本もまたカットアップではないのかと、そっと小声で断じてみます。
すると、たとえばぼくが、一字一句オリジナルと違わぬ内容の『IQ84』という書物を<ash>名義で出版したとします。あら不思議、これもまた一回もハサミを入れなかったカットアップになってしまうではありませんか。まるで錬金術ですね。いやいや、それは盗作ですが。
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不思議の国のスパイ

.07 2010 回想 comment(2) trackback(0)


さすがにルイス・キャロルを生んだお国柄とでもいうべきか。

というのも、録画したまま放っておいたビデオの中から刑事コロンボを見てみたらまたしてもパトリック・マクガーバンが出演しているではないか。彼が刑事コロンボに登場するのは、ぼくが見ただけでも3回目だ。しかも、常にコロンボの最強の敵として登場する。今回はなんと、ハリウッドのセレブレティ御用達のスーパー葬儀屋という役柄である。この設定、驚くしかないね。しかも、その、頭のきれること。パトリック・マクガーバン、いつもにもまして愉しそうに演じている。

で、その、マクガーバンの代表作が、1967年にイギリスで製作・放映された『プリズナーNo.6』というテレビドラマなのである。冒頭のセリフは、このドラマへの感嘆符であった。

なにしろ、『プリズナーNo.6』ときたら、茶目っ気たっぷりの不条理スパイ・スリラーというとんでもない仕掛けをもつテレビ・シリーズであった。
イギリス本国で好評のうちに終了すると、翌1968年にはアメリカと日本でもオンエアされたが、当然のように不評のまま幕を閉じたという。バブルガムのように甘ったるいテレビドラマばかりに慣らされていた、当時の視聴者を前にしては無理もない話だったかもしれない。

たとえばアメリカでの批評はこうだ。「設定はスパイ・スリラーだが、ストーリーはSF的。カフカ的ムードで、結末は何やらさっぱりわからない」

1968年といえば、SF映画史上のエポックメイキングといわれるスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が公開された年でもある。
しかし、結末の難解さにおいては、さらにうがった意見が飛びかわされるあの映画にくらべると、『プリズナーNo.6』にはアイロニーに満ちたユーモアがあり、観る者を心地よく不条理の世界に誘ってくれる。
いうなれば<アリスの不思議の国>にさまよいこんだ<007>が、次から次へと押し寄せる<カフカ的不条理>に翻弄されるサスペンス・コメディといった趣きなのだ。これこそ第一級の知的エンターテインメントと呼びたい作品である。

物語は、パトリック・マクガーバン扮する男が上司に辞表を叩きつけるところから始まる。男は秘密諜報部員らしい雰囲気を漂わせている。男はアパートに戻り、旅支度を急ぐ。彼の鞄の上にはリゾ?ト地のパンフレットが重ねられている。だが、ドアの鍵穴から噴出してきた麻酔ガスによって気を失う主人公。
やがて意識を取り戻した彼が発見するのは、まるでおとぎの国のような建物が立ち並び、デルヴォーの絵の登場人物のように無気力な人々が住む<村>に連れ込まれた自分の姿であった。
世界と遮断され、完璧に管理されたコミュニティ。この村で彼はNo.6と名付けられ、No.2という管理者から辞職の理由を執拗に追求される。以後の物語はすべて、自由を求めて<村>からの脱出を試みるNo.6と、それを阻止するNo.2との対決に終始する。

つまるところ、このスパイドラマは、精神の自由をアイロニカルに詠いあげる、不自由な大人達のための寓話であったに違いない。





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追記:そういえば、「閉じられた系ではエントロピーが増大する」という、熱力学の法則から敷衍されたテーマが流行った時代でもありました。

付記:蝿の王、闇の奥にて腐りけり、獣の愉悦、病んだ薔薇の血。

芸術家の肖像に関する覚書

.03 2010 回想 comment(2) trackback(0)


何にせよ芸術家にはパトロンが必要である。いつの世にも芸術家の生活いっさいを面倒みてくれる庇護者がいたものだ。そして芸術家はパトロンの品格や教養に見合っただけの作品を提供する。このようにして芸術家とパトロンの蜜月時代は続いていたのだが。

やがてモダンの時代がやってくる。市民は自分のくいぶちさえ稼げば、<自由>という禁断の果実が味わえるようになった。芸術家も解放され、そして、たちまち毎日のパンにも不自由することになる。<芸術>と<大衆>との狭間。このようにして芸術家の受難が始まったのだ。

振りかえれば17世紀のヨーロッパでは、美術家の生活は王侯貴族のお抱え絵師という形でしかありえなかった。これが19世紀となるとブルジョアジーという新種のスポンサーが現れて、美術の舞台は<宮廷>から、上流階級の集まりである<サロン>へと移行。この<サロン>での成功が美術家たちの見果てぬ夢となる。

つまりフランス革命、そして産業革命が訪れたのだ。芸術はあらゆる階層の市民のために解放された。そこで必要とされたのが美術批評という領域。市民は芸術の価値を誰かに保証してもらいたかった。そして結局、芸術家の成功には巧妙な理論武装が必要になってしまったのだ。

たとえば『悪の華』で知られる詩人ボードレールがサロン展の批評を書き、美術批評家としてのデビューを果たしたのもこの頃。当時の美術界はアングルに代表される<新古典主義>と、ドラクロアに代表される<ロマン主義>が二大潮流をなしていたのだが、ボードレールはドラクロアを絶賛してこの対決に終止符を打つ。すなわちこれは美術ジャーナリズムの誕生でもあった。

ボードレールはさらに<現代生活のヒロイズム>を表現した絵画を求めていた。そしてこの頃、まさしくボードレールの言葉に呼応するかのようにデビューした画家がいた。

「私は天使を描くことができない。なぜなら天使を見たことがないからだ」というレアリスム理論で颯爽と登場したギュスターヴ・クールベである。

サロン文化を挑発したり、パリ・コミューンに参加したりもしたクールベは、同時に<近代絵画の父>とも呼ばれることになるのだが、さて、<近代絵画の父>とはいかなる意味だろうか。

「ただ画家であるというだけでなく、ひとりの人間としても生きうること、そして何よりもア?ル・ヴィヴァン(生きた芸術)を創りうること、これが私の目的である」

すなわち芸術と生活の一致。農村の出身を誇りとし、社会主義者としての信念にもとづいて行動したクールベ。そんな彼の生き方は、たちまち芸術家のライフスタイルの先駆けとなる。そう、ここに<近代の芸術家の肖像>のひとつの原形が生まれたのだ。

それから、モダンな芸術家が現れる。貧しくたって心は自由。カフェやセナクールにたむろしてはブルジョワジーから恐れられ、ついでに金をふんだくるボヘミアン。しかし、このきわめて<モダンな芸術家の肖像>の確立までには、あのパブロ・ピカソの登場を待たねばならない。





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付記:それから一世紀ほど経過したある日の出来事。そういえば昔、セックス・ピストルズとかいうパンク・バンドがあったんだけどさ。そのバンドのフロントマンだったジョン・ライドンが捏造したバンドがパブリック・イメージ・リミテッド。アングラ系の演劇とか観に行くと、このバンドの曲がよく使われていたっけなあ。ごつい重低音で、観客をてっとりばやく無思考状態に連れていくには持ってこいだったからなあ。そのパブリック・イメージ・リミテッドが来日してさ、いや、もちろんこれも昔の話。チケットは買ってたんだけど、なんか、かったるくって、あんまし行く気もしなくってさ。「ねえ、ライブ、今日なんだけど、どうする?」「ああ、今日だっけ、まあ、やることもないしねえ、じゃあ行ってみるか」ってんで、夕方、中野の駅前で待ち合わせして、サンプラザに向かったんだけど、ふと気がつくと、やっぱりぼくたちみたいにタラタラした連中が、サンプラザの方へダラダラ向かってたんだよね。笑っちゃうよ。そんで、ライブの中身なんだけど、パブリック・イメージ・リミテッドの連中ときたらもう、ゼンゼンやる気がなくってさ。タラタラしてて、しかも、ダラダラとした、そりゃあもう酷いものだった。まあ、観るほうも、その上をいくやる気のなさでもって、シラーっとしながら、ボケーっと聴いてたんだから、しゃーないかもしれない。で、最後にジョンがいらだって、「What's you want! What's you want!」とか何度も叫んでたけど、そんなの決まってんじゃん、てんで、ついにジョンもあきらめたよーに、アンコールでピストルズの昔のナンバーを2曲だけやってさ、そん時だけ異常に盛りあがっておしまい。わずか30分くらいのライブ。こんなに短くても誰も怒ってなかったな、たるいから。

ヘルムート・ニュートンという男

.28 2010 回想 comment(2) trackback(0)


ヘルムート・ニュートンにはふたつの顔がある。ひとつは<ヴォーグ>や<エル>という一流誌で活躍し、華やかなファッション・フォトの歴史に確かな名声を残した写真家としての顔。もうひとつは、期せずしてパンク・ムーブメントやヘヴィ・メタル・ファッションへの先駆けを果たすことにもなる、ニューロティックな美意識に彩られた芸術家としての顔だ。そのニューロティックな美意識を評して、ひとは彼を<ハイヒールの写真家>と呼ぶ。
たとえば1976年の写真集『ホワイト・ウイメン』のなかに登場する女たちを見るがよい。本来ならば血の通わぬマヌカンとして、とりすました表情で写されているはずのスーパー・モデルたち。しかし彼女らは、ニュートンの巧妙な手さばきによって、次々にモードを引き裂かれ、ハイヒールと装身具だけのヌードに剥かれた後、裸身を無機質な鎖や革帯で締めつけられているのだが、その白いグラマラスな肉体からは驚くほど生々しいエロティシズムが発散されている。

「いわゆるヌード・マガジンにはうんざりなんだ。あの手の雑誌のおかげで、私にとって最も大切なものであるミスティックなゆらめきや神秘性が失われてしまった。たとえばモデルから靴を取り去るなんてつまらないことだ。素足の女性と靴を履いた女性ではまったく違う立ち方をするのだからね。ハイヒールを履くことによってモデルの脚と背中にある種の力強さと緊張感が生まれ、筋肉がくっきりと浮かびあがってくるんだ」と彼は語る。
なるほど。誤解を恐れずに云うならば、その華麗なファッション・フォトの成功から生まれた神話的イメージの舞台裏で、このように入念な演出によるスキャンダラスな<愛のドラマ>を探究してきたカメラマン。それがヘルムート・ニュートンという男なのだ。

ニュートンは1920年代のベルリンに生まれた。彼は、その当時すでに成熟の域に達していたワイマール文化の自由な空気を吸うと共に、その成果を蹂躙していくナチス・ドイツの軍靴の響きに耳をそばたてながら育ったはずだ。
そして、戦後。50年代のおわりから60年代にかけてのパリ。激動と革命に揺れたのは政治だけではなかった。絵画・演劇・映画、そしてファッション・フォトの世界もまた、過激な<演出性>の時代に突入しようとしていた。既成のスタイルはうとんじられ、エキセントリックで斬新なものが求められていた。アーティストを自負するものは皆、現実ではありえないドラマ、架空のオペラなどを夢想しては、こぞって写真に焼きつけていく。
そんな時代にとびきりスキャンダラスな写真を演出し、華々しいデビューを飾ったヘルムート・ニュートン。一躍、時代の寵児としてスポットライトを浴びることになったのも不思議ではなかったと云えるだろう。

そんな彼の写真集のなかから、例の『ホワイト・ウイメン』は書庫に埋没してどこにあるのやら見当もつかないので、ぼくがいつもベッドサイドのテーブルの上に置いている、この愛すべき文庫判の写真集を紹介しよう。
文庫判とはいえクロス装のハードカバー。しかも表紙は中央がくりぬいてあり、第一頁のロゴタイプが見えるように細工されているという凝りよう。ちっぽけながらも、写真を所有する喜びをかきたててくれる本である。
ぼくはいつも、ジョディ・フォスターのページを開いて、本を額のように立てかけて飾っているのだが、すぐに読みかけの本がいくつも重ねられ、あっというまにジョディが見えなくなってしまうので、いまだに彼女を見飽きることはない。





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付記:美にまとわりついて離れない<つぶやき>に耳をすましてみる。その<つぶやき>の正体は、おもわず目をそむけるしかない剥き身の存在として顕現する、いわば<異形のもの>ではあるはずだ。

夢を泳ぐ紙魚

.23 2010 回想 comment(3) trackback(0)


ホルヘ・ルイス・ボルヘスという名前をはじめて目にしたのは中学一年の冬のことだった。軽いのか重いのかよくわからない病で学校を休学して半年が過ぎていた。そんなある日、ぼーっと昼下がりの繁華街をうろついて時間をつぶしていたのだが、いつものようにあっさりと行く場所もなくなり、街でいちばん大きな書店に入り、できるだけわけの判らないものを求めて物色していたら、いきなり『不死の人』などという魅惑的な文字が網膜の奥に焦点を結んだのだった。

思わず手に取り、その扉を開いた。すると、ぼくの手のなかには、<聞いたこともない小説家や見たこともない思想家の引用がちりばめられた謎の書物>があったのだ。胸がときめいた。この本をどうやって万引きしようかと考えた瞬間、ぼくは屈強な婦人警官の手によって腕を掴まれていた。未遂ですらなかった。万引きではなく平日に繁華街をうろついていたという容疑による補導だった。休学しているのに補導というのも面白い話だ。警察から学校に連絡が入った時、ぼくの担任の教師は一笑に付したという。

現行犯直前でありながらお咎めなし。それがぼくの人生。それからというもの、背表紙に触れただけで心臓がアップテンポのビートを刻みだすような本には巡りあっていない。たとえばガルシア・マルケスの『百年の孤独』にしたところで、すでに有名になった後に読むことになった訳だし。だからだろうか。ぼくには夢のなかでだけ訪れる古書店がある。その店の書棚には、誰も知らない事について、誰も知らない作家が書いた、誰も知らない書物が、ぼくに読まれる瞬間を静かに待っているのだ。紙魚に喰われながら。





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註釈:そういえば行きつけの夢の本屋のなかに、一軒だけモダンなしつらえの新刊書店がありました。他の本屋はみな薄暗い路地の奥で、裸電球がぶらんとぶら下がっているような店なのですが、そこは明るくて活気があります。よくSFとかアバンギャルドな本を立ち読みします。このあいだ、夢のなかで道に迷って、ひどく猥雑な印象の見知らぬ街の駅ビルに迷いこみ、帰れなくなってしまったのですが、ふと見ると、駅ビルの一角に、その店の支店が出店していました。その店に入ると、馴染みの店主がいました。そしてひとしきり無駄話をして、おもむろに道を聞いて、ようやく帰ることができたのです。あの店主はきっとぼくのために登場してくれたのでしょう。登場するためにわざわざ支店まで出店してくれたのです。なんて義理堅い人物でしょうか。

付記:それにしても、海を漂流するゼラチン状の紙魚に包まれて海面を漂流するのは楽しそうですね。インド洋を横切り、アフリカ大陸を横目でみて、喜望峰に沈むのです。

Birth of Cool

.12 2010 回想 comment(3) trackback(0)

ク?ルジャズは不良少年のものだ。
それも50/60年代を生きた、とびきりの不良たちであるビートニクスにこそ相応しい。クールの創始者はジョージ・シアリング。ビートニクスは、この英国生まれで盲目のピアニストをホットに支持した。57年に出たジョージ・ケルアックの『路上』という小説の中には、ジョージ・シアリングのステージを、まるで異神の降臨のように、息をのんで見つめる少年たちが描かれている。オン・ザ・ロード。移動しながら生活し、ヒップであることを正義としたビートニクス。彼らにとってクール・ジャズはヒップな気分の象徴に違いなかった。そんな気分をよく伝えるアルバム・ジャケットが、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』。きどって歩く女性の脚を捉えた写真からは、舗道に響くジャズの旋律がこぼれおちてくる。

トランペットの名手アート・ファーマーが巧いことを云っている。

「ソニー・クラークの特徴は抑制の無さだ。スイングしようと<努力>しているように聴こえるプレイヤーもいるけれど、ソニーは、ただあるがままに曲想を流れ出させるだけなんだ」

なるほど。ジャズが最もクールだったあの頃。ソニーのピアノからは、ビートニクスが陽だまりや路地裏にたむろしていた、あの時代の気分が饒舌に伝わってくるかのようだ。

そしてフランスにもひとり、きわめつけの不良少年がいた。
その男の名はボリス・ヴィアン。アメリカのハードボイルドの翻訳と称し、怪し気なベストセラーを書きとばしたお蔭で、すっかり文壇からはつまはじきにされた文学者。小説を著し、シャンソンの詩を書き、ジャズを論じ、ミニ・トランペットを吹きまくって命を縮めた男。

ボリス・ヴィアンはこう書いている。

「美しい少女との恋愛、そしてエリントンのジャズ。ほかには何もいらない。醜いんだから」

まさしくヒップだったヴィアンがこよなく愛したのは、デューク・エリントンとマイルス・デイビス。ジャズの歴史に偉大な足跡を残し、すっかり神様になってしまったマイルスだけれど、当時の彼はソ?ダ水のように軽快な音色を奏でる、クールでヒップな若者だった。

その頃、マイルスのライバルだったのがチェット・ベイカー。ジェームズ・ディーンに似た、陰のあるハンサムボーイだった彼は、繊細なトランペットと、真夏でも息が白くなりそうなファルセット・ボイス、そして西海岸の陽光に包まれたスマートな音色で、マイルスよりも人気があった。黒人びいきだったヴィアンは彼をあんまり評価しなかった。しかし、あの頃は誰もがチェットに憧れていたのだ。

女とクスリに明け暮れて躯を壊したり、ギャングとの金のトラブルで歯を抜かれてしまったり、晩年のチェットは往年の美貌も損なわれ、暗い話題しかなかったけれど、薄暗いクラブのスポットの中では、最後までクールに振るまっていた。悲劇的な変死をとげた彼を再評価しようとする動きは、最近になってようやく成功しつつあるのだが、残されたポートレイトの中では、彼のけだるい美貌が、いつものように挑戦的に微笑んでいるだけだ。





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註釈:ところで、ドラッグについて思い浮かぶ光景がふたつあります。ひとつはコミュニティのなかで<交換>されるドラッグ。これはカレッジの学生用のアパートの一室で<交換>されるものから、宗教的な場所で<交換>されるものまでを含めて、きわめて儀式性の強いものだと思われます。その儀式はイニシエーションであったり、グループの結束を強めるためのものであったりなどと、いろいろな場合が考えられますが、それはおいといて。
もうひとつの場合が、路地裏で<流通>しているドラッグの光景です。もちろん悪魔が巣食うのはこちらのほうで、ドラッグを買う者は<捕虜>であり、<奴隷>であり、<無力な市民>であり、ドラッグの売人は<看守>であり、<主人>であり、<強大な権力者>であるという関係が見えてきます。
してみるとこれは、結局、世界の構造のみすぼらしいパロディのようにも見えますが、この関係がみすぼらしいのであれば、世界も叉、みすぼらしいのではないか。この関係が甘美であるならば、世界も叉、甘美なのではないか。
ウイリアム・バロウズが<ドラッグは生き方なのだ>と書いたものが、後者のドラッグであることは云うまでもありません。
そこにはカルチャーはなく、生き残るためではなくドラッグを手に入れることだけのための様々な手練手管がある。これってむしろ世界の構造よりは恋愛の構造に似ていますね。これはただの思いつきにすぎないので、この註釈には結論も提案もないのでした。

Old Fashioned Love Songs

.11 2010 回想 comment(8) trackback(0)

都会の夜のためにジャズは生まれた。『華麗なるギャツビー』で知られるジャズエイジの桂冠詩人、スコット・フィッツジェラルドがこんなことを書いている。

「1920年代のアメリカは史上最大の馬鹿騒ぎを演じていた。ジャズエイジは金のいっぱい入ったガソリンスタンドを持っていて、自分たちだけの力で走った。金がなくなっても心配はいらなかった。まわりが豊かだったからだ」

その象徴がスコットの愛妻、ゼルダ。ショートヘアでスポーツカーを乗りまわし、やつぎばやに煙草をふかし、夜毎パーティーに明けくれるフラッパー。ゼルダが云うように、あの頃はいつもティータイムは真夜中だった。禁酒法をくぐりぬけたナイトクラブの喧噪。符牒を告げてようやく扉が開かれるスピーク・イージー。クルスタルの鉢に盛られた早摘みの苺。バターの池に浮かんだフォアグラ。シャンパングラスの中の泡。そして、ホテルからホテルへの移動祝祭日。
こうして二人は、ジャズの旋律がこぼれ落ちるニューヨークの舗道の上を、いつまでも無軌道に遊びつづけた。ジャズエイジという、若さと美しさ、優雅なお遊び、機知に飛んだ悪ふざけ、そんな放蕩だけが意味をもつという幸福な時代が、恐慌とともに、ふいに終りを告げるまで。

いや。そうではない。ほんとうは、この二人には終演のベルが聞こえなかったのだ。そして、痛ましい悲劇が起きることになるのだが、それはまた別の話だ。

いずれにしてもジャズには、破滅へといたる甘い予感、倦怠にみちた蕩尽という、危険なイメージがつきまとう。そしてジャズの音色は、街角の舗道や、路地の暗闇、紫煙がたちこめる秘密めいたクラブこそが似つかわしい。

ヴィクター・ラズロという女性シンガーがいる。ハスキーなアルト・ヴォイスで、メランコリックで無国籍な唄を聞かせる歌手だ。ところで、『カサブランカ』というアメリカ映画の中で、ハンフリー・ボガードが愛したイングリット・バーグマンの夫という人物が登場するのだが、その男の名がヴィクター・ラズロ。彼はレジスタンスの英雄。男が惚れるボギーが認めたほどの男、それがヴィクター・ラズロだ。その男の名を芸名に選んだというこの女性歌手には、不吉でいかがわしいファムファタールの雰囲気が漂っている。この雰囲気こそが、ジャズなのだ。

映画を思い出そう。カサブランカで傷心の日々をやり過ごすボギー。そんな彼のサンクチュアリであるナイトクラブ<リックス・カフェ>。その中で、禁じられたはずの曲 "As Ttimes Goes By" が唄われた瞬間、甘美な禁断の恋人が、ふたたび彼のまえに現れる。まるで夢のようだ。ひたすら彼が待ち続けたはずの、破滅へといたる人生の素晴らしい最終章が、ようやく今、始まりを告げたのだ。





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註釈:ゼルダ・フィッツジェラルド以外にぼくが気にしていることといえば、グレゴール・ザムザがあの出来事が起きるまえの深夜に見たはずの気がかりな夢。ディズニー世界におけるグーフィーとプルートゥの関係。同じ犬なのに、かたやミッキー・マウスと同格の市民、かたやミッキー・マウスのペット、この両者が遭遇した時の顔を見てみたい。あと、サンダーバード5号にひとりでずっと乗っている青年の青春。それからE.T.が去ったあとのエリオット少年の空疎な生活。
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プロフィール

ashzashwash

Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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