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反復と差異のためのパヴァーヌ

.30 2010 詩篇 comment(2) trackback(0)


愛の行為は反復行為だ。だから同じことを書こう。確かに苦にはならない。腐った水をつちくれに浴びせかけ、ぼくの白濁した小さな命をいかずちが放たれた空っぽの空間に射精した瞬間に、非礼を非難する砂丘と非人を非常呼集する地球が、海淵の底に潜んでいたウィルスとの実験的な交接をぼくに要求するのだが。しかし、ぼくはあなたの脚のあいだから一瞬も離れたくないとダダをこねるのだが。そして、銀色の朝に、ぼくは蒼白の虎の姿に変身して、時間の砂を食べる抗生物質の大群とスワッピングにスワッピングを重ねて、むごたらしい混血児を大量に生みだしてしまったのだが、それはあなたもご存じのように、水晶の夜の出来事だ。


あれから状況は次第に悪化している。あの頃のぼくは今よりも悪くて、今のぼくはあの頃より更に悪い。ぼくは明日を待つこともなく、忘却という毒を呷りながら、今日という一日をゆっくりと殺すだろう。


愛は厄介なことに差異も要求する。だから違うことも書こう。光芒の象形文字が描かれたプールの底で、あなたの立居振舞に舌鼓をうちながら。だってあなたは、ミトコンドリアのように猥褻な姿をしている。だってあなたは、無数の奔放な触手の全てに真っ赤な真珠のピアッシングをしている。だってあなたは、うっかり呑み込んだ光のために独りきりで溶解しながら真空で喘いでいる。だってあなたは、断崖をごろごろと転げ落ちながらぼくの懐中時計とチキンレースをしている。ぼくは全てを見てきた。ぼくは全てを忘れた。ぼくは全てを愛した。あとは固く瞳を閉じて、とびきり大きな卵になるだけさ。いつまでたっても孵らない卵にね。





209.jpg





註釈:ロラン・バルトは「言葉は端的にファシストなのだ。ファシズムとは何かを言うことを妨げるのではなく何かを言わざるを得なく強いるものだから」と言っていますね。つまり、それを聞いたものが唖然として二の句が告げなくなるような言葉と、その後の一瞬の沈黙、その中にしか自由は存在しないのです。
そんなロラン・バルトの著作を読んだミヤコ蝶々が、ジョン・レノンの「イマジン」を聴いて一言、「想像してごらん、という、あんたの、その言葉がファッショや!」。なんてね。
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ashzashwash

Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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