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語り得ぬものに就ては捏造しなければならない

.09 2010 序文 comment(2) trackback(0)

夢とは死から最も遠い出来事である。なぜなら夢は眠りというある種の「覚醒」のなかから生まれるものだからだ。そして人は夢がさめるとき、眠りから目覚めるとき、死ぬことを欲望しながら目を醒ます。
いつものように朝が訪れ、いつものように身を起こし、いつものように生活するということは結局のところ、ただひたすら「生き残る」という目的を果たすことでしかなく、それは死者に対する負債を払っていく生活に過ぎない。それは言うまでもなく生きるということから最も遠く離れた行為である。
だから人は目覚めるとき、おのれが「生き残っている」ということの負債から逃れることを欲望する。つまり死ぬことを欲望しながら目覚めるのだ。
生活は連続している。連続は死者の属性である。生への欲望は生活を断裂する眠りから生まれ、たとえばそれは世界の終りへの渇望として目覚める。世界の終わりが来れば生活は失われるからだ。
いつものように朝が訪れ、いつものように身を起こし、いつものように生活するということはすなわち、死者の言葉を語ることであり、生きるということは夢の言葉を語ることである。そして夢の言葉は世界の終りへと至る。
つまり生活するということは他者の欲望に従うことでもある。そして「生き残る」ということは死者の欲望に従うことでもある。
だから生きるということは他者の欲望に抗うことである。生きるということは、死者の欲望を永遠に遅延させようとあがくことである。
そして生きるということは、世界の終りを現実のものとするために、世界の連続を断ち切るために、世界の破滅を欲望し、世界の中心で愛を叫ぶことである。





kitty02.jpg





註釈:これはタイトルを変えました。語り得ぬものについては捏造しなければならない。これはある長い詩のラストの一行だったものです。その長い詩はもうアップすることはないと思うし、だからといってこのまま捨ててしまうには惜しい一行、と自画自賛。ただ、このブログの仕様だとタイトルが一行では収まらないので「ついて」を「就て」と表記することにしました。もちろん、あの有名なヴィトゲンシュタインの本の最後の一行である「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」への返歌であると、本当の意味はよく判らないのでそっと呟く程度にしておきます。少なくとも、最後じゃなくて最初に宣言する事でこのブログの趣旨を自分に言いきかせることにもなるし。え? このブログの趣旨だって? そうだな、それは、太陽系から遠く離れた見知らぬ惑星の凍てついた大陸の奥深く、まだかろうじて疼いているマグマの余熱でわずかに解けはじめた氷河の雫がかぼそい水流になり、その水流のつたう先が漆黒の鍾乳洞の谷底に落ちる滝となっていて、いつしかその静かな滝の落水が溜まるところに透明な泉が生まれているのですが、その泉のほとりにたったひとりで横たわり、ただ静かに死すべき瞬間を待っている、最後のユニコーンのようでありたいのです。

comment

遊離哉(aoloaakua)
かつて、怒涛のような渦巻に巻き込まれ
あなたの墓標を作って以来
墓標の下に埋もれているのは
図らずも私自身だったかもしれません。
あなたの墓標を作ったあと
私は自分の実体を見失ったように
さらなる土、あるいは土奥深くへと
そのベクトルを進めていきました。
身体性の先に太い命脈を土へと求め
かの南国の海洋島へ行きついたわけです。
かつての上司が、西洋の精神性が上へのベクトル、
つまりは土からの遊離を目指し、土への接触を極力避けるために
バレエのあの危ういpointeを生み出し、なおかつfetteなどは、
その回転軸ですら、もはや土との決別を表すものと
個人的な直感の部分で感じます。

それに対して
太平洋の海洋島の山の中で
その土着の力で打ちのめされた私は
この土に寝そべり
ここで土に還っていく覚悟が突如降ってきてしまったのです。


ブログ復活に捧げます
2010.03.12 21:05
ashzashwash
TwittersならぬQuittersの共犯者からコメントをいただきました。Quitters。そういうタイトルの詩をふたりでコラボレーションしたことがあるのです。墓標のような詩でしたが。そういえばあの墓標は楔形をしていて、鋭角に尖った前半の部分をぼくが書き、土中に埋め込まれるであろう後半の部分をあなたが書いたものでした。しかし、あの墓標はあらかじめ土に穿たれた墓穴に収まることもなく、いまもどこかの小さな島の白い浜辺で、無慈悲な波に運ばれてきた塵芥に包まれながら、否も応もなく苦い海水に洗われているはず。そうか。あの墓標が漂流のはてに辿りついた海洋島は、土着の舞踊を介して、あなたの愛するハワイへと通底していたのですね。
2010.03.13 16:18

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ashzashwash

Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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