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.30 2010 断章 comment(8) trackback(0)

生は死の忘れがたみだ。死が生を愛するあまりに、思いださずにいられない残像、それが生だ。それゆえに、死は実在するが、生は非在であり、一瞬だけ浮かびあがる、美しいまぼろしなのだ。





202.jpg





註釈:年齢ってヤツを無造作に折り畳んで押し入れにしまいながら、だんだん気力ってヤツが零のほうにばかり振り切れるようになってきたことに気づきました。そういえば数年まえ、仕事をやめて金が切れてきた頃、バイトの面接のために早起きして、知人と駅前で待ち合わせした時のこと、駅前でおたがいの目があった瞬間、どちらともなく「やめよーぜ」と力なく合意に達し、ふたりでたらたらと朝の陽光のなかを散歩しながら帰ったことがあります。途中でサラ金にはいって、手持ちのカードでマシンから1万円借りて、そいつに貸してやりました。もうそんな気力さえ残っていないような心意気です。ところでそいつは行方不明です。いや。むしろ行方不明なのはぼくのほうなのですが。いずれにしても勝利するのは亡霊。導くのは無意識。生き残るのは他者。それが道理ってもんです。まあ、ぼくはおよそどんな道からも逸れてしまっているんですけどね。

comment

mitz
三途の川沿いを散歩していると、上っているのか下っているのかわからなくなる。それから帰る方向がわからなくなる。そして何もかも諦めて釣り糸を垂れていつまでもいつまでも浮を眺めているのです。
2010.03.30 17:45
遊離哉(aoloaakua)
うっかり死んだ話をかこうとしていた。そう、人はきっとうっかり命を落とすものなんだ。そうして、そこに死んだ自分を見て、ああ、死んだんだと思うものなんだ。この物語はそういう書き出しで書こうと思って頭のなかで書き始めたが、きっと私自身がうっかり死んで、その物語もそうして終わるのだと思う。
2010.03.31 13:03
ashzashwash
眺めている浮はゆるやかな波に揺さぶられて上下運動しているのでしょうか。ぼくはむしろその揺さぶられる浮になりたい。そしていつまでも揺さぶられながら上下運動をしていたい。そんなふうに思うのです。
2010.03.31 15:08
ashzashwash
やはり命は落しものだったのですね。失せものと表記してもいいかもしれませんが、いずれにしても、道ばたにうっかり落とした命なら、交番に届けられているかもしれませんし、そんなときのためにぼくは、いつも帰宅時に近所の交番に寄り、缶コーヒーの付届けを欠かさないようにしています。顔なじみになっておけば、うっかり落とした命が塵や芥として遺棄される悲劇が、少しは防げるかもしれませんしね。
2010.03.31 15:16
oomoji
昨日、大神神社に行ってきました。御神籤では”失せモノは見つかるとのこと。待ち人も遠からずナントカ”とか。。
ウツツな世界で何が見つかろうが失せようがどうでもいいや…。フフンと紙切れを結んで、その足で家内安全のお札を申し込むなんて、、やっぱ修行が足らないのかもw
2010.03.31 16:55
forgetful_cat
エロスとタナトス。
生きているもの全てにセットされている。
リセットは難しい。
それならば、玩べれば良いのにと思う。
眉間に皺を寄せて考え込むよりも
遊べれば
それがいい。



2010.04.01 03:55
ashzashwash
大文字さん。いや、家内安全は大切ですよ。「ウツツの家内安全などは召使いにまかせておけ」とは言えぬ立場としてはね。ぼくのまわりも近頃、恩人や家人が突然倒れたり、嫌な事件が続いておりまして、神奈川の寒川神社に御参りに行くべきどうか悩んでいるところです。先の交番への付届け云々というのはむろん嘘でしたが、これは本当なのです。
2010.04.01 15:27
ashzashwash
orgetful_catさん。そもそもぼくは地下水脈からぜえぜえと酸欠で息も絶え絶えになりながら地上に這い上がってきただけで満足しているような輩ですので、聳える山脈の頂上に燦然と輝く知の神殿の領域には、足を踏み入れることさえ恐れ多い話です。
となればからっぽと、からっぽではないものとの周縁に、ピクニックテーブルとフォールディングチェアでも置き、そこで日がな一日、紙チェスでもやっていたほうが身分相応ということでしょう。相手はいつものようにヤクの売人ですが、ヤツは少なくともヤクをくれるフリだけはしてくれます。だけど希望が何をしてくれるというのか。
ふと横目で見ると、光が堕ちた円環の縁の外で希望が佇み、無為の遊戯に興じるからっぽを羨んでいる姿が目にはいりました。そうです。ぼくが望む行為といえばささやかなもの。涼しい顔で希望に否と答えてやってから、あとは死ぬまでうじうじと後悔する事なのです。
2010.04.01 16:28

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Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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