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Who Are You?

.06 2010 女優 comment(9) trackback(0)


イザベラ・ロッセリーニの『ブルー・ベルベット』。そして、ジュリエット・ビノシェの『ダメージ』。このふたつの映画の話をしてみたい。なぜなら、このふたつの映画のヒロインは、きわめつけに対照的な女優としてぼくの前に現れたからだ。

イザベラ・ロッセリーニといえば、イタリアの名監督ロベルト・ロッセリーニを父に、北欧の名花にしてハリウッドの名優イングリッド・バーグマンを母に、そしてハリウッドきっての美形ごのみの映画監督デビッド・リンチを愛人に持つという、いわば<純粋培養>の女優である。すなわち、<観られること>を宿命づけられている存在なのだ。たとえばラテンの血が流れる豊満な肉体は、オリーブのヴァージンオイルをたっぷりと使って味付けされたシチリア料理のように濃厚で、母親とうり二つの美貌に嵌めこまれた青い瞳は、さながらスカンジナビアの凍河に封じ込められた氷晶のきらめきにも似て、儚げに虚空をみつめている。女優という職業を選ばずとも、どうせ、女優のように<観られる>ことを免れる術はなかっただろう。実際、彼女はすなおに映画の道を歩もうとしてはしなかったのだが、結果として、『ブルー・ベルベット』の逆説的なヒロイン、クラブ歌手ドロシー・バレンズへと辿りつくことになった。
この映画でイザベラが演じるドロシーの肉体は、視線の恵みを浴びすぎたのか、熟れた果実めいた腐敗臭を漂わせており、その危うい瞳は、カイル・マクラクランに突きつけたナイフのように、彼女を見つめる全ての視線と刺し違えようとして身構えている。しかし、そのドロシーの心は、ひたすら彼女を見つめるだけの男であるデニス・ホッパーに隷属しているのだ。

そして、ジュリエット・ビノシェ。彼女は、たとえばイザベラ・ロッセリーニのように<観られること>を運命づけられた女優とは対照的に…。
いや、やめておこう。彼女については、<わからない>と素直に告白しておくべきだろう。あえていえば、この『ダメージ』という映画のなかで、彼女の棲む迷宮にまよいこんだジェレミー・アイアンズが、彼女の魅力ゆえに破滅へと導かれ、しかし、かろうじて死だけは免れ、住みなれたロンドンを捨て、あのウィリアム・バロウズが極刑を逃れるために訪れたタンジールへと流れつき、ひとりごちた言葉がすべてを語っているにちがいない。

「けれど、彼女は、普通の女だった」

『汚れた血』では『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグ、この作品では『ルル』のルイズ・ブルックスの引用として現れる彼女なのだが、その<普通さ>ゆえに、彼女の存在感はオリジナルの女優たちが放つ強烈なイメージに吹き消されかねないほどに、希薄だ。けれど、ただそれだけの女優だとしたら、彼女がおこす衣擦れの音にさえ胸をかきむしられるような、あの不思議な求心力はどこからくるのか。
思えば、彼女は<語られる女>だ。それも、なぜか彼女に魅かれる男たちが、その理由となるはずの答を懸命に模索し、そして、その理由を語らずにはいられなくなる女だ。そして、愛するのに理由がいる女は、男にとっては謎なのだ。だから彼女を前にして、男は尋ねずにはいられない。

「君は誰だ? なぜ私の前に現れた?」

なるほど。彼女は永遠の謎によって男の視線を誘いこむ、あの<スフィンクス>だったのだ。





0585.jpg




註釈:浜辺から遠く離れた洋上を走る小さな船は、蜃気楼によって、ちょうど喫水線に鏡を置いたように見え、まるで口だけの怪物が顎を動かしながら泳いでいるように見えます。そして古代の人間達はそれを見て、そのような怪物が実在するところを見つめていたわけです。現在の私が見てもそれは畏怖すべき禍々しい怪物として脳裏を狂わせます。ましてや古代の人間たちにとってそれはまぎれもない現実であり、逃れられない恐怖であったでしょう。蜃気楼とはすなわち<恐怖の実在>であり、そして、それゆえに汲めど尽きぬ<情熱の源泉>なのではないでしょうか。未知の街角には常に恐怖が待ち伏せしています。そして私たちはその恐怖に吸い寄せられていくのです。

comment

遊離哉(aoloaakua)
ジュリエット・ビノシェ。彼女の映画といえば、「存在の耐えられない軽さ」のなかで、プレイボーイのトマーシュを振り回す、田舎娘。田舎娘のようで、したたかな、悪女ともいうか、彼女らしさを振りまく。それが無邪気のようで、悪意に満ちて。にこにこした素朴さの奥に潜む<う女の恐ろしさ>を感じます。同じ女として彼女はサイキョウです。(最強とも、最恐とも)
2010.04.06 15:03
hemakovich
ビノシュはリアルでもカラックスを駄目にしちゃいましたよね。
昔は好きだったけど、今は怖い。
したたかなのか素なのか分らない。
むしろウィノナ・ライダーみたいに壊れてる女の方が歳を取ったら共感してしまう。
2010.04.06 19:32
ashzashwash
ビノシェは本当に怖いですよね。だから吸い寄せられる訳ですが。しかも、決して自分は壊れない。壊れない女が怖いという話は、ハリウッドでは決して撮れないでしょう。
ウィノナ・ライダーの壊れ方は、子役出身の役者が辿る王道、と言えばそれまでなのかもしれませんが、怖い、とは違う不気味なものを感じます。
でも、『恋する人魚たち』で、シェールの娘役を演じた時の彼女は、不気味なままで、しかも充分に可愛かった。まあ、ハリウッド的なクリシェを一歩も出ない不気味さではありましたが。そういえばあの映画には、デビューしたばかりのクリスティーナ・リッチがウィノアの妹役で出てたけど、彼女にはどのような運命が待っているのでしょうか。
2010.04.06 19:54
遊離哉(aoloaakua)
すいません。
<う女の恐ろしさ>ではなくて、<女の恐ろしさ>ですね。
最近キーボードの調子がよくなくて、とんでもない所に字が飛んだりするんです。なんか呪いかな。

ビノシェは、ブノア・マジメルって役者も駄目にしちゃったみたいですし。
2010.04.07 09:02
forgetful_cat
銀幕の向こう側で扇情的に微笑み
観客の目を釘付けにする女優達は
幾重もの仮面を付けている。
役柄であり、役者であり、誰かの娘であり、姉妹であり
恋人であり、妻であり、母でありもする。
男達に夢を見せ、恋をさせ、
女達に憧れられ、嫉妬させ、もしくは共感され
観る者達の妄想により近く寄り添う事で、その存在を成立させる。
その様な女優を女優足らしめるのは
監督の手腕による所が大きい。
容姿、技術、の差はあるにせよ
映画監督のほとんどが男性である以上
男性の創造物でしかない。
だとするならば、プロの女優は実は男であると言いかえても過言では無いと思う。
ボーヴォワールの「第二の性」を引用するまでもなく。





2010.04.07 18:42
ashzashwash
『恐怖! う女の館の呪い』とか、いかにもヒバリ書房の怪奇漫画にありそうな気がしていたところでした。ビノシェの歩むところ、男の残骸が累々。ニューロティックな怪奇映画が創れそうですね。
2010.04.07 18:49
ashzashwash
むしろプロの男優こそ「出来損ないの女優」なのかと思っていました。いずれにしても、演出家のあやつり人形であることを強いられる仕事であることに変わりはないでしょうが。
しかし、その主従関係のバランスは、サディズムとマゾヒズムの関係にも似て、一見、サド役のほうが権力を持っているように見えますが、じつは拒否権を持つマゾ役のほうが真の主人であるという、完全なる倒錯関係が見え隠れしており、映画においても、じつは監督こそが女優の奴隷なのだと、そう信じたいのです。
2010.04.07 21:47
mitz
天上天下唯我独尊・・・

お誕生日おめでとうございます。
2010.04.08 21:55
ashzashwash
いつもありがとうございます。どこにも属さないでひっそりと棲息しながら、ついに今年も誕生日を迎えてしまいました。ようするに、日々、墓穴を掘っているようなものです。そして、出来れば、<絶対的な墓穴>を掘りたいと願いながら。
けれど、掘り進んだ先に土がある限り、<絶対的な墓穴>に辿りつくことはありません。だから、またしても新しい情熱をこめて、その先にある土を掘り進むだけです。しかし、すでに、土に囲まれたこの空間は墓穴ですらない。もはや、それは、ぼくを包む牢獄と化しているのです。
だが、今となってはそんな事はどうでもいいはず。今さら後ろを振り向いて何になるでしょう。振り向いたところで、そこには永遠に停滞している時間が呆然と佇んでいるだけなのだから。
だからこそ、ぼくは前を掘り進む。前にこそ<絶対的な墓穴>がある。その土の壁の向こう側に<絶対的な墓穴>があり、それは必ずぼくの手をすりぬけていく。そのずれ。そのすれ違い。そのはぐらかされた時間だけが、<絶対的な墓穴>が存在するという、たったひとつの証しなのかもしれません。
2010.04.09 14:06

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Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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