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詩の誕生についての些細な思いめぐらし

.11 2010 断章 comment(2) trackback(0)

<母親の欲望>とは、母親と子供のあいだに存在するもので、自も他もない渾沌の渦がしだいに陰と陽をなしていく鏡像段階において、子供のまえに忽然と出現する権力の言葉だ。しかもその言葉は母親からすればフィシス、子供からすればノモスという二面性を持っている。フィシスの顔をしたノモスだ。しかもそのノモスは母と子という閉ざされた空間で形成された偽のノモスとして子供のなかで君臨している。そこで、この偽のノモスに対抗すべく父親というものが子供のまえに登場し、社会的言語によって構築された真のノモスと対峙させることで、子供は己のなかのノモスが実は<母親の欲望>に過ぎなかったことに気づく。つまり父親の存在意義というのは、子供が真のノモスに屈服するにせよ、あるいは反抗するにせよ、そんなドラマは二次的な意味でしかなく、何よりも、子供が自ら葛藤の果てに、己のなかに胚胎したノモスが、実は<母親の欲望>でしかなかったという真実に気づかせることにこそ、重要な意味があるのだ。なぜならば、己のなかのノモスがノモスの顔をしたフィシスであり、しかもそのフィシスは<母親の欲望>によって汚された偽のフィシスであることに気づいて、ようやく子供は真のフィシスと出会う準備ができるのだから。そして、そのことに気づいた子供は、ある晴れた日の昼下がり、何やらとてつもなく他愛のない出来事のさなかに、突然フィシスと出会うことになる。その瞬間、子供はこの惑星に生まれ落ちてきてこのかた一度も味わうことのなかった、<生きている実感>というものを体験できるのだ。





08.jpg






註釈:リライトするために読み直したときに、思わず「ノモスとフィシスって何だよ」と自分で自分に問いかけたほどだから、ここはどうしても一言書いておかねばならない。それで自分に問い直したときに思い出したのだが、別に「母親の欲望と父親の言葉」について書きたいのなら「ノモスとフィシス」などという対比を持ちだすまでもなかったのだ、という事。ぼくがここで書きたかったのは、「詩的悦楽が生まれる瞬間にこそ生きているという実感が現出する」という事だったらしいので、どうしても「母親の欲望」の二面性に言及する必要があったんだね、多分。などと他人事みたいだが、随分まえに書いたので推測するしかない有様だ。後半はかなり直した。自分でも正解がよく判らないので「ぼくが言いたかったのはこういう事じゃないかな? と推測しながらだが。今にして思えば、ノモス=建前、フィシス=本音、とでも表現しながら書けば判りやすかったのに。でもそれだと詩的悦楽の崇高でかつ官能的なイメージが台無しじゃないか。

comment

ame*
ノモスとフィシス論はフロイトの系統にあるもののような感じがしました。もちろん、だから悪いというわけではありません。母マリアと父なる神といった正統派キリスト教の構図でしょうか? フロイトに関しては、それが基本形ですよね。

聖書に出てくるもう一人のマリアと詩の誕生との関係を考えてみても面白そうですが・・・。そちらは、まったくぼくの趣味でした(要するにグノーシス)w
2010.03.13 22:16
ashzashwash
ame*さんはどうやってこの辺鄙なブログに辿り着いたのですか? まだ何にも書いてなくてお恥ずかしい次第です。ここでのぼくは蝸牛よりゆっくり活動しているので、エントリーも注釈もコメントへの返礼も気が遠くなるほど遅くなってしまいます。失礼しました。
しかもご明察。なにしろぼくはごりごりのフロイド原理主義者なものですから、何を書いてもこんな構図が浮かびあがってくるようです。もうひとりのマリアには興味があるのでいつか夢想してみたいものです。コメントありがとうございました。
2010.03.14 10:06

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ashzashwash

Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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