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So What?

.29 2010 回想 comment(1) trackback(0)


今となってはあらゆる手法がすでにノスタルジーの対象にすぎないだろうし、それはウイリアム・バロウズというひとりのジャンキーの手になる「裸のランチ」という書物によって有名になってしまったカットアップという手法も例外ではないだろう。しかし、カットアップという手法には断片への偏愛という側面があって、なにしろ言葉の断片を日常的な分脈からは遠く外れた脈絡のない行為によってズタズタに切り刻んで再構成するというシロモノなわけで、断片好きの私としてはちょいとだけカットアップに興味を惹かれたりもしたのだった。

むろん断片への偏愛という傾向は、バロウズにつきまとうジャンキーという病(ならぬ生き方)から容易に想像がつくだろうが、ドラッグの禁断症状からくる被害妄想によって世界のあらゆる表面が粘着質を持ちはじめ、じっとりとべたつき、さらにはドーム状の建築物の内部のように弧を描きはじめて、それがさながらゴム製の柔らかいボールのように途方もなく広がり、やがては巨大な公告バルーンのようにパンパンに張り詰めてしまった世界の中心に、独りっきりで取り残されて、その球状と化した世界のベトベトの表面に繁茂する無数の繊毛の一本一本に棲息する無気味な虫どもが、ヒソヒソと自分についてのありとあらゆる悪口をささやきはじめるような状況にあっては(いや、よく知らないけどさ)、世界の堅固な連続性などというホラを信じることは不可能だろうし、つまり世界はすでに彼にとってはバラバラの断片が無作為に寄せ集められた集積物にすぎず、こうなれば断片にしがみつくしか生きる術はない。これがジャンキーの生活というやつだ。

こうした生きざまとカットアップという手法にすがりついた心理状態は密接に結びついているに違いない。思い起こしてバロウズ本人の言葉を借りれば、「カットアップとは言語とイメージが持つパラドックスを意識化させる手法」だそうだ。つまりカットアップとは、もともと正しく繋がれていた分脈に矛盾を起こすだけの手法ではなく、そもそも世界を堅固に結び付けているはずの言葉とイメージの関係について、「はじめからバラバラじゃねーか、そんなもん!」と叫ぶための手法だったというわけだ。

なるほど。これって結局のところ、なんとかヤバい状況を生き延びたジャンキーが、なにやら自己正当化に終始する無様な言い訳を口走っているように聞こえないでもない。しかし、この言説はとても重要な問題をはらんでいる。なぜなら、なにかを創造するという行為は、フランケンシュタイン博士を思い出すまでもなく、山積みになってしまった精神的負債を一気にチャラにするための孤独な悪魔祓いに違いないし、読むという行為もまた、生まれる前にバラバラに散ってしまった同胞達を探しだしては連帯を求める孤独な旅路に違いないのだから。そして、すくなくとも、ぼくにはそう聞こえてしまうのだから。




12.jpg





註釈:話が前後するようですがカットアップとは何かを簡単に説明しておきます。それは、基本的には商品として流通している作品をハサミで切り刻んで再構成することである、と言ってもいいでしょう。ぼくの場合は、自分で書いた断片をあらためて再構成するようなことをよくやりますが、素材が自分で書いたものの断片であっても、それはカットアップという手法の一部に違いないと思うのです。
たとえば、既成のメディアの写真を切り張りして作品にする事で名を馳せたロバート・ハイネケンが、アメリカで最も尊敬を受ける写真家のひとりであると言えば、この手法がもはや奇矯なものではなく、すっかり世間に馴染んでしまったものであると言っても過言ではないわけで、そういう意味では、この註釈もまた蛇足でしかありえないような気がしてきました。
たとえば、人が一冊の本を読んだとき、それは一冊の本を書き上げたに等しい。なぜならば、一冊の本を一字一句誤ることなく記憶に再現できるような人物はホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編のなかにしか存在せず、実際にはその書物とは違う書物が記憶の中に残存することになるわけで、この記憶を一冊の書物として世に著せば、それは異本として流通する。これもまた、カットアップという手法の術中にあるといえるのではないでしょうか。
まあ、これはあえて極端な書き方をしたわけであり、かつて大量に複製が生産できる印刷技術がない時代、手書きで写本をしていたわけですが、そのさい、写本する人物によって微妙にヴァ?ジョン違いの書物が発生していく、この事をこそ本来の異本ということぐらいは、さすがのぼくも知っているのですが、じつはこの異本もまたカットアップではないのかと、そっと小声で断じてみます。
すると、たとえばぼくが、一字一句オリジナルと違わぬ内容の『IQ84』という書物を<ash>名義で出版したとします。あら不思議、これもまた一回もハサミを入れなかったカットアップになってしまうではありませんか。まるで錬金術ですね。いやいや、それは盗作ですが。

comment

forgetful_cat
ハンス・ベルメールの球体関節人形は
人間のカット・アップと云っても良いかも。
女体の曲線を無限に愛撫する為に造られた
歪んだアイコン。
もし、動き出したらどうなるだろう。
そのぎこちない動作の軌道上に四次元への入り口が
パックリと開かれたりして。
2010.06.10 05:41

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ashzashwash

Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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