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ふたつのtogetter

.18 2010 日記 comment(0) trackback(0)


Twitterでのつぶやきをtogetterというサイトで幾つかにまとめています。
その中から、ふたつほどご紹介。

ひとつは<ashzashwashによる断片の集積>として詩的なおもいめぐらしを集めたもので、

My Foolish Heart



もうひとつは<何を見ても何も思いだせない。これは回想ではない。これはテクストである>と記しておきながらただの回想録の未遂沙汰になっているもので、

iRemember

どちらもゆっくりと生成中のものです、と言えば聞こえはいいが、じつは永遠に未完成であるということなのでしょう。


生きているのどうかさえ訝しく思われるほど静かに生きて

.09 2010 詩篇 comment(0) trackback(0)


生きているのどうかさえ訝しく思われるほど静かに生きて、死んだのかどうかさえ訝しく思われるほど静かに死ぬ。そういう存在がぼくの理想でしたが、最近日本で頻出している非実在高齢者はまさにそのようにして存在しており、想像もしなかった形でぼくの理想を実現しているのでした。




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註釈:そして、何を呟くにしてもスケッチのようでありたいですね。そして、風景の一部のように生きていたいとも思うのです。


「L’あはれ ヌヴォ―」

.03 2010 詩篇 comment(4) trackback(0)


A podcast radio station "Poetry Garden" さんの所で、私の詩文「口に含んだ物を飲み干しながら」を朗読、および批評をしていただきました。よろしかったら覗いてみてください。

http://poetrygarden.seesaa.net/article/163615485.html


ポーとワイルドのあいだ。

.01 2010 日記 comment(0) trackback(0)


オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を読んだ。ドッペルゲンガーや、内在する善と悪の葛藤等、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルスン」と同じテーマの作品だと言えるだろうが、オスカー・ワイルドの方が面白く、かつ、圧倒的にエレガントだが、しかし、作者が余りにすべてを説明しているためにポエジーが存在しない。つまり、読後に何かを語りたいという欲求には駆られないのだが




それに比して、ハードボイルド小説の創始者としての栄誉も得られそうなほどに、クールで即物的な一人称で語られるポウの「ウィリアム・ウィルスン」だが、極度に装飾を排したこの文体こそ、ウィリアム・ウィルスンと名乗る男が語る信じがたい物語を読者に納得させるためにポウが創造したものである。しかし




重要なのはここからだ。この信じがたい話を語る<話者の存在>を読者が納得しかけたその時、最後の最後にポウがいきなり仕掛けた罠、つまり、圧倒的なアクチュアリティを持って存在していた話者が突然<信頼のおけない話者>へと変貌するというレトリックの罠




この仕掛けによって読者は一瞬にして宙ぶらりになり、物語の場からあっという間に置き去りにされてしまうわけだが、あの戸惑い、あの戦慄、あの一瞬ゆえに、「ウィリアム・ウィルスン」という短編は奇妙な傑作となり、読後の印象は一生忘れ得ぬものとなって読者の脳髄の底で輝きつづけるのである。


口に含んだ物を飲み干しながら

.29 2010 詩篇 comment(0) trackback(0)


怠惰な性格ゆえに掲載された作品を読み終えるのに時間がかかってしまいました。おくればせながらCPM5号の発刊を紹介させていただきます。
拙作「口に含んだ物を飲み干しながら」という詩も載っております。よろしかったら覗いてみてください。


The Contemporary Poetry Magazine CPM5号:
http://cpm.seesaa.net/article/158135551.html


口に含んだ物を飲み干しながら/ash
http://cpm.seesaa.net/article/156132314.html


未遂の森

.14 2010 詩篇 comment(2) trackback(0)


腐敗した林檎の匂い。思いださずにはいられない。林檎の花を髪にかざした少女。あの少女の棲む森には、生を未遂で終わらせることのできる秘密が隠されていて、その秘密をかつては知っていたのに、どうしても思い出せずに、いまはただゆっくりと夢を貪る少女の眠る姿が、死体のように横たわっているのです。





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註釈:いつしか人々は、後悔と期待からなる時間の罠に嵌り、虚偽と忘却からなる現実に導かれ、断定と矛盾からなる言葉の迷宮を彷徨い、過去を捏造しつつ、未来を剽窃する術を覚えて、死者と未だ生まれぬ子供との間で、生きている身振りをしながら生きていくのです。


おしゃれ泥棒

.04 2010 詩篇 comment(0) trackback(0)


世界変容の目眩こそが真実。そびえ立つ壁のようにみえる現実など、慌てふためいて仕立てあげられた稚拙な書割に過ぎない。ぼくたちは、途方もなくどうでもいいことの現場に、たまたま居あわせているだけなのさ。だからぼくは、吃音の獣たちの目眩と対峙しながら、どうにかしてくれ、さもなきゃほっといてくれ、と呟いているのさ。



それから。吃音の獣たちが路地裏に吐きすてる目眩の氾濫のさなかに、ねじくれた愛の結晶めいた準宝石のかけらを愛でるふりをしながら、その目眩をひとつぐらいかすめ取ってもわかるまい。もうひとつぐらいかすめとってもわかるまい。ぜんぶかすめとってもわかるまい。ぼくの魂は淀んでいるから、底に沈めてしまえば誰にもわかるまい。





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註釈:真顔で語るジョークはとてもスマートな印象を与えるが、コンテクストが外れるとジョークである事が判らなくなる。グルーチョ・マルクスが口にする皮肉なジョークは、ヴィトゲンシュタインが語れば深淵な哲学のように聞こえ、麻生太郎が語れば朝日新聞の記者に喧嘩を売ってるように聞こえるだろう。


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プロフィール

ashzashwash

Author:ashzashwash
桑原義江。男性。Ash。あるいはy<kと名乗った事もある。あるジャズ・レーベルのマネジメント・オフィスに勤務。その傍ら知人の紹介で、ファッションビルの広告媒体や某音楽系出版社の女性雑誌にアート関係の記事を書かせて頂き、その稿料で貧困生活を糊塗する日々が続く。或る日の朝、出勤のため恵比寿の坂道を下っている時に何もかもが嫌になり、地下鉄丸の内線日比谷駅のホームのベンチに蒼白な顔色で座っている姿を学生時代からの友人が見かけたのを最後に、東京23区内から失踪。赤坂のオフィスのデスクの上に残された遺留品は、デルヴォーの画集、カランダッシュの青いボールペン、それからビル・ラズウェルのライブのデモテープ、以上の三点であった。その後、アムステルダムの娼婦街でよく似た横顔の女衒を見かけたという報道もあったが、本人が非公式に否定。現在に至る。

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